最近面白いvideoを見つけました
言わずと知れた、世界最高のポップスターであるマイケルジャクソンが当時、盗作疑惑をかけられたらしいということで、インタビュアーも質問というより、尋問みたいな感じで、怖い。作曲のプロセスを説明してもらっています
マイケルがかわいそうです
ですが、これを見て、思うところがあるのは、今、AIで作曲って流行っているでしょう?これにつながるなと思ったのです
結論から言うと、盗作かどうかを判断するのは、裁判で決まるので、作曲段階でなるべく作り込んで、可能な範囲で疑わしい部分には事前に許可を取り、そのプロセスを記録しておくことは裁判で有利に働くし、なおかつ盗作かどうかを気にするよりも重要なのは、問題が起きたらこう対応する、というのをあらかじめ決めておくことです
マイケルは言います。フッと音楽が降りてくるんだ。そしてそれらをレコーダーに鼻歌のようにして吹き込んで、スタジオで作り込むのだ、と
プロセス自体はオーソドックスで、珍しい話じゃありませんが、気になるのは、”フッと降りてくる”の部分です
怪しい
フッと降りてくるってなんだよ。頭の中から発生してるんだから、そのメロディーはどっかで聴いてるはずだろ
それは決めつけすぎっていうんなら、どっかで聴いた複数のメロディーが頭の中でくっついて、それが出てきたんだろ、と
これはまさに、AIの仕組みではありませんか。ビッグデータを読み込ませて、指示された内容に沿って、統合して出力する
AIなんか使わなくても、普段DTMで作曲してるあなた、そして私も、似たようなものです
たくさんあるドラムパターンのサンプルファイルやmidiコード集、これらはほとんど、使い古された表現のパターンでよくあるやつらですが、コイツらを寄せ集め、組み替え、音色でごまかし、ポルタメントとかでさらにバレないように偽装し、オリジナル正規品のステッカーを貼って業者に出荷する
一体どこからが盗作で、どこまでがオリジナルなのか
10年ぐらい前、あいみょんの歌が小沢健二の盗作だと大騒ぎになりました
あいみょん側は即座に対応し、小沢をリスペクトしていたので、結果として似てしまったが、盗作するつもりもなかったし、迷惑をかけてごめんなさい、と表明しました
これでは批判は収まらず、さらに悪いことに、メダロットというゲームのBGMにもそっくりだと告発があり、原宿系のブランディングも崩壊しまして、どうなるかと思われましたが、そのままなんだか有耶無耶になりました
今でもネット上には、そもそも音楽なんて全部パクリだから、ガタガタいうな、という意見などが見られます
しかしこれはちょっと乱暴すぎます。著作権はどうなるんでしょうか
そもそも、小沢とメダロットの間にも同じ問題があるはずです
一体どこからが盗作で、どこまでがオリジナルなのか
ランサーズみたいな外注サイトでも、著作権をくださいとか、著作権に引っかからないようにお願い、とか、軽い感じで書いてあったりしますけど、正直、これなら安全ですというのはかなり難しい
実際には、著作権侵害だ!と怒る人がいて、当事者か代理人が裁判を起こして、それが認められれば著作権侵害である、となるだけ。いくら外野が大騒ぎしても、小沢やメダロットが訴えないと、ノーダメージというわけです
だから、やってみないとわかりません
リスキーなものというのはあります
たとえば、昔のレコードなどからのサンプリングや映画のセリフの切り抜き、同じ歌詞などはユーチューブやスポティファイでも問題になりやすいから、注意が必要です
これに対して、コード進行、ワンフレーズだけの短いメロディなどは音色や歌詞、テンポが違っていればリスクは低めでしょう
楽器が同じ、というのもまず大丈夫。あいつが私と同じ型のピアノを弾いているからけしからん、とはなりにくい
ただし声については最近問題がちらほら見られますね。ボイスチェンジャーで有名歌手の声にできるというサービスが出てきて、揉めていたりします
やはり、アーティストの人間的な固有性、作家性というのは重視されるようです
アメリカの過去の裁判なんかでも、その曲を聴いて、盗作っぽさを感じるかどうか、原曲を想起できるかという部分が争点になっていますから、重要なポイントであることは間違いありません
色々ごまかす小技はありますが、やりすぎるとかなり前衛的な作品になっちゃいますから、最終判断はクライアントさんと話し合って合意するしかありませんし、それで訴えられて敗訴したら運が悪かったと、諦めるしかないというのが実情ではないでしょうか
たとえば、著作権フリーのコード集やサンプルキットをメインパートとして使って作ったトラックの著作権、オリジナリティはどの特徴で判断されるべきなのでしょうか
同じコード集を使ってトラックを作っている人は無数にいます。彼らの曲はどれもそっくりで、パッと聴いただけでは、同じなのかと思ってしまうという時、それぞれのトラック自体の著作権の固有性はどこで決定されるのか
アーティストとして大事なのは、大衆を楽しませることのほかに、前述のように作家性や固有性であり、それらを放棄するようなタイプの作品はそもそも素晴らしい作品と言えるのでしょうか
クリエイティブ・コモンズの運動も最近ではあまり聞かなくなりました
あまりに複雑で、もう面倒になったので、みんなこのことについて、考えるのをやめてしまったのかもしれませんが、著作権の仕組みはまだ厳然と存在します
個人の音楽家としてできることは、もっと音楽をよく学んで、少しでもオリジナリティと親しみやすさを増やして、新しい音楽、聴いてる人たちを楽しませる音楽を作ることではないでしょうか
万が一、著作権に触れてしまった時は、相手方と話し合って、解決策と事後対応を決めて、ファンに向けて、経緯と今後の対応について正直に説明するしかありません
あいみょんのように、相手が特に問題にしないかもしれませんし、金銭で解決できるかもしれません。交渉決裂で、出版差し止めだってあるでしょう
オマージュとしてリリースする場合は、事前に許可をとっておきましょう
こうやってしばしば立ち止まり、考えてみることによって、少しだけ広い視点から音楽を作れるようになるのではないか、それはまずまず、意味のあることなんじゃないかと思うわけです
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